まほらの天秤 第14話


屋敷のテラスには既にお茶の用意がされており、スザクは荷物をメイドに渡すと、ユーフェミアをエスコートし、席へと招いた。
スザクの一挙手一投足すべてを意識してしまいどぎまぎしているユーフェミアは、頬をバラ色に染めながら促されるままに席につく。
一般人であるはずのスザク。
だが、彼は本当に騎士の教育を受けたのではないかと思ってしまうほど、自然な動きでユーフェミアにつき従っていた。
ギルフォード達でさえ、最初の頃は慣れぬ礼節と、騎士として覚えなければならない数多くの事に目が回るような状態だったというのに、スザクにはそれが無い。
さも当たり前のように、騎士枢木スザクを演じていた。

そう、演じて。
香り高い紅茶を口にしながら、スザクは視線だけで辺りを見回し、視界に入る人たちを観察しながら、この状況を改めて考えていた。

ダールトン。
彼のおかげで、今まで見えなかったものが見えてくる。
コーネリアに仕えていたダールトンは、いつも「姫様、姫様」と、コーネリアに従い、コーネリアのためにその命をも捧げた忠臣だった。
だが、ここのダールトンは違う。
元々貧しい辺境の田舎町で医師をしていたダールトンは、その仕事に強い責任感と、生甲斐を見出していた。医者は体が資本と、体を鍛え、時には山二つ超えた先にある村にも診療に言っていたという。腕も確かなダールトンは人々に慕われ、孤児を養子として養いながら、日々忙しく動き回っていた。充実した毎日だったという。
そんなダールトンの元に政府の人間がやってきた。
ブリタニアの奇跡、その中に自分も含まれていると聞かされても、多くの患者や子供たちを置いて行くことなどできないと拒絶したのだが、彼の選択肢は最初から用意されていなかった。
ここに腕のいい医者を置き、資金も援助する。子供たちも暮らせるよう手配をする。と、強制的に連れてこられたのだという。
だから、表面的には奇跡によって主の元へと舞い戻ったダールトンを演じてはいるが、出来る事ならば今すぐに村へと、子供たちの元へ帰りたいと思っていた。つまり、今のダールトンにはコーネリアの対する忠誠心はないのだ。

ここに居るのは皆が皆、ブリタニアの奇跡という名の劇を演じている役者なのだ。
ダールトンとの会話で、それははっきりしたと、スザクは思った。
確かに見た目は全く同じ、もしかしたら魂も同じかもしれない人たち。だが、中身は、やはり別人なのだ。全く違う環境下で生きてきたのだから当然なのだが、過程が変わったことで、結果もまた変わったのだろう。
ここに集められた者たち・・・生まれた時からユーフェミアとして育てられた彼女や、その兄弟たちはともかく、ダールトンのようにここに置かれた者たちは、多額の給料をもらい、歴史上の人物を演じているにすぎない。
ジノとアーニャも一般市民の学生だ。
多額のバイト代を貰い、ラウンズを演じながら、ここから近く学校に通っていた。
偽りの歴史に踊らされ、偽りの役を演じる道化達。
視点を変えて見た彼らの姿は、あまりにも滑稽だった。
滑稽だが、ここはまちがいなく楽園だった。




あの森の中で、スザクは自分の抱いた疑問をダールトンにぶつけた。

「ダールトン先生、ルルーシュは・・・彼は、声が出せないのですか?」

彼から聞こえるのは涼やかな鈴の音だけ。
悪態一つ、悲鳴一つ、彼から聞く事はなかった。
彼のあの声を、いまだに聞けていなかった。
何より、リンリンとなる鈴の音が、意図を持って鳴っているようにしか思えなかった。
真剣な声音のスザクの問いに、ダールトンは悲しげに口元を歪めた。

「気が付いていたのか」
「・・・やはり、そうなんですね」

肯定の言葉に、知らず声が低くなる。

「ああ、あの子は声が出せない。昔、事故にあったらしくてな」

晴れない表情で言われた言葉に、信憑性など無い。

「悪逆皇帝は、その口から毒の言葉を吐き、言葉巧みに人心を操ったともいわれています。全国民に中継される演説でも、弱肉強食を謳い、人々を争わせ続けたと」

それを実際に行っていたのはシャルルだが、後の歴史ではルルーシュに変わっていた。言葉巧みに人々を操り、争わせ、それを見て嘲笑っていたと。

「だから、彼から声を奪ったんですか?」

彼の喉を、潰したんですか?
スザクの言葉に、ダールトンは力なく肩を落とし、俯いた。

「私が初めてあの子に会った時には、既に今の状態だったから、はっきりとはいえんが・・・あの子がルルーシュなのだとしたら、恐らくは、そうだろうな」

医者であるダールトンがこういうのだから、その痕跡が彼の喉に残っているのだろう。
事故とは思えないような、痕跡が。
スザクは思わず苦虫を噛み潰したような表情で、彼が去っていった方を見つめた。
やはり悪逆皇帝の生まれ変わりとして、手ひどい扱いを受けていたのだ。
幸せに笑いあう彼らのすぐ傍で。

「ダールトン先生が、彼の診察を?」

スザクの言葉に、ダールトンは俯いていた顔をあげ、真剣な表情で口を開いた。

「この事は、誰にも言わないでくれないか。あの子には、関わるなと言われている。・・・だが、こんな山奥に唯一人で暮らすあの子が不憫でな」

唯一人で。
その言葉に、スザクは眉を寄せた。
こんな山深い場所に一人きり。
熊などの獰猛な獣が徘徊するだろうこの場所に、唯一人。
やはりあの屋敷の人は彼の存在を知っていて、その上で知らぬ存ぜぬと首を振っていたのだ。穏やかに笑い、何の不自由もない生活をしていながら、ルルーシュをここへ追いやっている。気にかけてくれているのは、ダールトンだけかもしれない。

「だから定期的に様子を見にきて、そして、これをな」

その背に背負われていた、散策には大きすぎるリュック。
それを下ろすと、ダールトンは中身をスザクへ見せた。缶詰などの保存食に小麦粉と作物の種だった。よく見ると、底の方には衣類らしきものも見える。

「陛下の命で屋敷の者が、月に1度あの子の元へ食料を届けてはいるが、・・・信じられないとは思うが、段ボール一つにも満たない量でな。生きて行く上で到底足りる量では無かった。だから、山歩きが趣味だと言って、時折山に入り、こうして届けに来ている」

野菜類は菜園を作り育てさせ、長期保存のきく食料を渡す。
そんな事を既に2年続けているという。

「あの子にここで会った事は、屋敷の者には言わない事だ。それと、またあの子に会った時は、あまり無理して捕まえないようにな」

解りましたと、スザクは大きく頷いた。
彼の扱いの片鱗を見たのだ。
会った事を云えばどうなるか解ったものではない。
下手をすれば、別の場所へ移されてしまう。
もしかしたらルルーシュが逃げたのは、人を恐れた結果なのかもしれない。
現に喉を潰されているのだ、その時の恐怖は計り知れない。

「怪我をした僕を見つけたのは、ルルーシュなんですね?」
「ああそうだ。普段は屋敷に近づかないあの子が血相を変えてやってきてな。幸い、屋敷に着く前に、私と森の中で会ったのだ」

屋敷に近づけばどうなるか解っているだろうに。
それでもルルーシュはスザクを助けるために、人を呼ぼうと屋敷へ向かったのだ。
そして、ルルーシュに連れられてダールトンはあの場所でスザクを見つけ、屋敷へと運んだのだという。
それなら、屋敷じゃなく、ルルーシュの所に連れて行ってくれれば・・・。
そこまで考えて、スザクは自分の思考に驚いた。
確かにそれならすぐにルルーシュを見つけられただろうが、ユーフェミア達に会えなかった事になる。遠い昔自分の主であった彼女に会えなかったことに。

「そうだ、あと一つ、あの子の事で覚えていてほしい事がある。あの子は喋れない代わりに鈴を鳴らす。1回はイエス。2回はノーだ」

あの鈴は、そのために持たせているんだ。
ああ、やっぱりそうなのかと、スザクは頷いた。




「・・・スザク。スザク?聞いていますか?」

少し遠い目をして庭を眺めていたスザクは、私の呼びかけにハッとし、こちらに視線を向けた。

「申し訳ありません、ユーフェミア様」

スザクはすまなそうに眉尻を下げ、深々と頭を下げ謝った。
何処かその顔に疲れが見えた気がして、私は不安になった。スザクの傷は癒えたというが、大怪我をしたのだから、まだどこか調子が悪いのかもしれない。

「スザク、やはりまだ具合が悪いのですか?無理をしないで休んでくださいね」

すると、スザクは頭を振り、無理などしていませんと答える。

「いえ、大丈夫です。今朝山道を歩いたことで少し疲れが出たのでしょう」
「山道をですか?」

今朝探しても見つからなかった理由はそれかと、ユーフェミアは理解した。

「はい。体がだいぶ鈍ってしまいましたので、鍛錬のために山へ。そういえば、山の中でダールトン先生にお会いしましたよ」
「まあ、ダールトンに」
「山登りと森の散策がお好きだとか」
「ふふ、ダールトンはこの森をとても気に入ったみたいなの」

特に用の無い日は、週に2回は山の中へと入り、時には沢山の山菜を手に戻ってくるのだ。元々は山深い田舎の村に住んでいたらしく、たまに山に入らないと落ち着かないと言っていた。

「でしょうね、この山はとても気持ちがいいので、先生の気持ちはよく解ります。僕は軽装だったので、途中で先生とは別れましたが、今度から天気の良い日は毎朝山に入ろうと考えています」
「毎朝、ですか!?」

つまり今日のように、朝スザクに会えない事になる。

「はい。この山道は奥に向けてのゆるい勾配がいい感じですからね。道も悪くありませんし、走り込みをするには最適なので」

爽やかな笑顔で楽しげに話すスザクに同意を示したいところなのだが。

「走り込み、ですか?」

走るならここでもしているじゃないですか。
そう続けようとしたのだが、嬉しそうに笑うスザクの爽やかな笑顔に見とれてしまい、思わず口を閉ざしてしまう。

「はい。怪我をしたこともありますが、ここ最近間碌に体を動かしていなかったので、どうにも調子が悪くて。もう完治しましたので、鍛錬を再開させようかと」

いつも屋敷周辺や、訓練施設でしている鍛錬では足りないという言葉に、私は驚きを隠せなかった。体を動かす事が好きだと聞いているし、何よりあの強さ。普通の運動程度では満足できないのだろう。

スザクは騎士。
騎士はその体を鍛える物。
主を守るために。
それが解っていても、朝、会えないなんて。
先ほどまで浮足立っていた気持ちが、だんだん沈んでいくのが解った。

「明日からはもう少し奥へ行くつもりなので・・・お昼前にはこちらへ戻ってこれるようにいたします」

ということは、午前中はいないのだ。

「せ、せめて9時前に戻ってきてください」

私は慌ててそう言った。
ユーフェミアの起床は7時。
身の回りの事や朝食などで9時までなら時間は潰せる。

「ですがユーフェミア様、それだと3時間も体を動かせないことになります。鈍った体を慣らすためにも、お昼まで時間をいただきたいのですが」

3時間。
と言う事は6時から山へ入るという事。
3時間も動いて、それでも足りないなんて。

「で、ですが、それでは・・・買い物とか行けなくなります!」

一緒に居る時間も減ってしまいます!
そう口にしかけて慌ててユーフェミアは言い換えた。
流石にそれを言うのは恥ずかしく、頬を赤く染めた。

「それでは、ユーフェミア様は午前中に、勉強を終わらせるよう努力をしてください。そうすれば、午後からの時間は自由に使えますから、買い物に行くことも出来ますよ」

スザクは思ったよりも頑固で、山に入るという考えは変えてくれないらしい。
だからその提案に、私は頷くしかなかった。

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